4WD ホンダに関する自動車

  • ホンダ フィット

    ロゴの後継車にあたるコンパクトカー

    ホンダ フィット ロゴの後継車にあたるコンパクトカー。前席床下に燃料タンクを収めるセンタータンクレイアウトという画期的なシャーシを採用し、ロングホイールベース、ハイルーフの採用で、クラストップレベルの室内空間をもつ。また室内はミニバンに匹敵するシートアレンジが可能だ。エンジンは新開発の1.3Lの直4i-DSIで、1気筒当たり2本のプラグを備えて燃焼効率を向上、専用設計のCVT、マルチマチックSと組み合わせて低燃費を実現,。駆動方式はFFと4WDで、全車に前席エアバッグとEBD付きABSが標準装備される。(2001.6)

    ボディタイプ

    ハッチバック

    ボディサイズ

    3830×1675×1525, 3830×1675×1550

    カラー

    サテンシルバー・メタリック, シルバー, ナイトホークブラック・パール, 黒, ミラノレッド, 赤色, タフタホワイト, 白, エターナルブルー・パール, 青色, ブリリアントホワイトパール, アイスブルー・メタリック, アイリスレッド・パール, ミントオパール・メタリック, 緑色, オーキッドイエロー, 黄色, ストームシルバー・メタリック, ビビッドブルー・パール

  • ホンダ プレリュードインクス

    プレリュードのマイナーチェンジ時に追加された新バリエーション

    ホンダ プレリュードインクス プレリュードのマイナーチェンジ時に追加された新バリエーション。リトラクタブルヘッドライトのプレリュードに対し、インクスは固定式の薄型ヘッドライトを採用。全く違った雰囲気に仕上げている。メカニズムは共通で、2Lの直4SOHC/DOHCエンジンに4輪ダブルウィッシュボーン式サスペンション、5MT/4ATのミッション、メカニカル4WSなどを搭載している。4WDはないが、トップグレードのSiには滑りやすい路面での安定性を高めるTCS、ビスカスLSD、4WS、ABSをセットにしたTCVが設定される。(1989.11)

    ボディタイプ

    クーペ

    ボディサイズ

    4505×1695×1295

  • ホンダ ホライゾン

    いすゞのビッグホーンをOEM供給された本格SUV

    ホンダ ホライゾン いすゞのビッグホーンをOEM供給された本格SUV。ただしボディタイプは5ドアロングのみの設定。エンジンは3.2LのV6ガソリン、3.1Lの直4ディーゼルターボを搭載。ハイ/ローレンジ切り替え式パートタイム4WDに5MT/4ATが組み合わされる。外観はボディ同色フロントグリル、内装は専用シート地などで独自性を強調。装備ではフルオートエアコンや6スピーカーオーディオが標準装備される。(1994.2)

    ボディタイプ

    クロカン・SUV

    ボディサイズ

    4660×1745×1840, 4780×1745×1840

    カラー

    ゴールドマイカグリーン/ライトシルバーM, 緑色, シルバー, クランベリーマイカ/ライトシルバーM, 赤色, ブロンズブルーマイカ/ライトシルバーM, 紺色, ライトシルバーM/アイアングレーM, グレー

  • ホンダ ホライゾン

    ディーゼルターボエンジンを電子制御化し動力性能向上や黒煙低減を実現

    ホンダ ホライゾン ディーゼルターボエンジンを電子制御化し動力性能向上や黒煙低減を実現。4WDには新しく前後輪への駆動力を状況に応じて適切に配分するトルクスプリットシステムTODを採用。装備の充実も図った。(1995.6)

    ボディタイプ

    クロカン・SUV

    ボディサイズ

    4660×1745×1840

    カラー

    ブロンズブルーマイカ/ライトシルバーM, 紺色, シルバー, ファーグリーンマイカ/ライトシルバーM, 緑色, レッドロックマイカ/ライトシルバーM, 赤色, ライトシルバーM/アイアングレーM, グレー

  • ホンダ ホライゾン

    全車に前席エアバッグとイグニッションキー照明を追加し、一部グレードではABSも標準化

    ホンダ ホライゾン 全車に前席エアバッグとイグニッションキー照明を追加し、一部グレードではABSも標準化。またこれまでは最上級グレードに限られていたトルクオンデマンドTODの4WDシステムを拡大採用した。(1996.9)

    ボディタイプ

    クロカン・SUV

    ボディサイズ

    4660×1835×1840, 4660×1745×1840

    カラー

    ブロンズブルーマイカ/ライトシルバーM, 紺色, シルバー, ファーグリーンマイカ/ライトシルバーM, 緑色, レッドロックマイカ/ライトシルバーM, 赤色, ライトシルバーM/アイアングレーM, グレー, ファーグリーンマイカ/アイアングレーM

  • ホンダ モビリオ

    センタータンクレイアウトやCVTなどコンパクトカーのフィットのコンポーネンツを流用したミニバン

    ホンダ モビリオ センタータンクレイアウトやCVTなどコンパクトカーのフィットのコンポーネンツを流用したミニバン。ミニバンとしてはミニマムサイズの全長4055mmというボディに7人乗れる3列シートを収めたパッケージングが光る。リアドアは左右ともにスライド式を採用。エンジンは1.5L直4のi-DSI。駆動方式はFFと4WDも選べるが、4WD車はリアのサスペンションがド・ディオン式に変更された。全車「優-低排出ガス認定」を受けている。ガラスエリアが広いスタイルはヨーロッパの路面電車を参考にしたといい、良好な視界や高い取り回し性を備える。前席エアバッグとABSが標準装備される。(2001.12)

    ボディタイプ

    ミニバン

    ボディサイズ

    4055×1685×1705, 4055×1685×1725, 4055×1685×1740, 4055×1685×1760

    カラー

    サテンシルバー・メタリック, シルバー, ナイトホークブラック・パール, 黒, ミラノレッド, 赤色, タフタホワイト, 白, エターナルブルー・パール, 青色, ブリリアントホワイトパール, マスカットシルバーメタリック, 緑色, ペールラズベリー・メタリック, アクアブリーズオパール・メタリック, チタニウムメタリック

  • ホンダ ライフ

    先代のイメージを色濃く残しつつも、規格変更に合わせて一新

    ホンダ ライフ 先代のイメージを色濃く残しつつも、規格変更に合わせて一新。拡大したボディは衝突安全性向上に重点を置き、クラストップレベルの正面衝突50km/h、オフセット衝突64km/hをクリア。前席エアバッグに前席3点式ロードリミッター付きプリテンショナーシートベルトを標準化、ABS&ブレーキアシストをオプションとするなど安全装備は充実している。エンジンは排出ガスのクリーン化を図った新開発の直3SOHC12バルブで、ミッションは5MT/4AT、駆動方式はFFと4WDが選べる。(1998.10)

    ボディタイプ

    ハッチバック

    ボディサイズ

    3395×1475×1605, 3395×1475×1645

    カラー

    ストームシルバー・メタリック, シルバー, ナイトホークブラック・パール, 黒, ミラノレッド, 赤色, タフタホワイト, 白, エターナルブルー・パール, 青色, サテンシルバーメタリック, チタニウム・メタリック, 茶色, ブリリアントホワイト・パール, スターライトブラック・パール, ルビーレッド・パール, ボーグシルバー・メタリック, グレースシルバー・メタリック, サテンシルバー・メタリック

  • ホンダ ライフ

    個性的で背の高いスタイリングで高効率の室内スペースを追求した

    ホンダ ライフ 個性的で背の高いスタイリングで高効率の室内スペースを追求した。ボディは車両相互の衝突時に衝突エネルギーを効率良く分散・吸収するコンパティビリティ対応タイプとし、前席エアバッグやEBD付きABSの標準化などの相乗効果で高い安全性を実現。エンジンは新開発直3SOHC6バルブのNAとターボで、i-DSIと呼ぶ1気筒当たり2本の点火プラグを備えて高い燃焼効率を実現している。ミッションは全車が電子制御4ATを採用し、全グレードでFF/4WDが選択可能。抹茶などカフェ感覚のボディカラーや室内は明るいイメージでまとめられている。(2003.9)

    ボディタイプ

    ハッチバック

    ボディサイズ

    3395×1475×1575, 3395×1475×1590, 3395×1475×1580, 3395×1475×1595

    カラー

    ストームシルバー・メタリック, シルバー, ナイトホークブラック・パール, 黒, タフタホワイト, 白, ブリリアントホワイトパール, サテンシルバーメタリック, グレースシルバー・メタリック, マッチャクレム, 緑色, バニラクレム, ベージュ, カラメルクレム, 茶色, アイスブルー・メタリック, 青色, アイリスレッド・パール, 赤色, フレームレッド, サテンシルバー・メタリック, ブリリアントホワイト・パール

  • ホンダ CR-V

    それまで他メーカーからのOEM供給でSUV市場に対応してきたホンダが初めて手がけたライトタイプのSUV

    ホンダ CR-V それまで他メーカーからのOEM供給でSUV市場に対応してきたホンダが初めて手がけたライトタイプのSUV。全幅のみ3ナンバーサイズのボディは5ドアのみで、キャビンを大きく確保し高い使い勝手を誇る。2列シートを配し、コラムATの採用により前後左右のウォークスルーも可能。リアシート後端部を持ち上げてフロントシートとつなげれば完全フラットなシートアレンジが楽しめる。エンジンは2Lの直4でミッションは4ATのみ。乗用車と同じを4輪ダブルウィッシュボーン式サスペンションを採用し、ホンダ独自のデュアルポンプ式4WDが採用される。(1995.10)

    ボディタイプ

    クロカン・SUV

    ボディサイズ

    4470×1750×1675, 4470×1750×1705

    カラー

    サイプレスグリーンパール, 緑色, アドリアティックブルー・パール, 青色, クリスタルアクア・メタリック, スパークルグレー・パール, グレー, ギャラクシーグレー・メタリック

  • ホンダ CR-V

    画像がありません デュアルポンプ式リアルタイム4WDのレスポンスを引き上げ、前後輪の回転時間差がより少ないシステムへ変更された。シート地変更や前席エアバッグ&ABS標準化、リアガーニッシュのボディ同色化なども行われた。(1997.10)

    ボディタイプ

    クロカン・SUV

    ボディサイズ

    4470×1750×1705, 4470×1750×1675

    カラー

    スターライトブラック・パール, 黒, スパーマリンブルー・パール, 青色, サイプレスグリーンパール, 緑色, ルビーレッド・パール, 赤色, ジンクシルバー・メタリック, シルバー, アイビーグリーン・パール, タフタホワイト, 白, ホワイトダイアモンド・パール, セブリングシルバー・メタリック

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4WD ホンダに関する旅行記

モスクワ・モーターショー2005:何があったか?ストリップ!...

2005年夏、ロシア、欧米、アジアの自動車関連企業が一同に会するだろうモスクワ・モーターショーを2日間、見に行きました。

仕事のほうは順調に進んで、成果を収めたので問題ない。
ロシア自動車メーカーはじめ、全世界のメーカーがここに集まった。
のだが、日本の自動車メーカーはスズキのみ。
あのトヨタ、ホンダ、ニッサン、マツダetc.は出品していないのだった。

ロシアは2005年当時で、すでに約3千万台の自動車保有台数を誇る、レッキとしたモータリゼーション大国なのだ。
その殆んどが余り質の良いとは言えない、ロシア車ではあるが。

1990年代後半あたりから石油+天然ガス資源をバックにした豊富な資金で、ロシア経済は高成長時代に入っていて、日本の中古車輸入はうなぎ上りで、2005年時点で、今や日本からの中古車輸出先のトップとなっている。

日本車の占有率は、極東地域では90%以上、中央シベリア地域で約50%、全保有台数の7割が走っているヨーロッパロシア地域でさえ25%近くを占めている2005年だった。
(欧州車はドイツ車中心に30%)

対ロシア貿易相手国は、ドイツ、中国、イタリア、オランダ、アメリカであり、日本は非常に出遅れていた。
その出遅れが、今回のモスクワ・モーターショーに如実に表れていたのだろう。
でも、トヨタは2007年末から、サンクト・ペテルブルグで現地生産工場開始を計画していたので、さすがトヨタは先見の明があるものだ、と思っていた。

当旅行記はそんな経済のお話しではなく、2005年当時のモスクワ・モーターショー会場内で起こっていた、真実をお伝えするものです。
これを目にして、明るい、アッケラカンとしたロシア人の一面を認識したのでございます。
ロシア人は決して、冷たくはありません。

熱いのです。

2010/09/02 09:09:43

砂漠だぜ!! 『ワディ・ラム』 2008 IN ヨルダン!!...

アカバからワディ・ラムへ☆
ワディ・ラム→ベドウィンが運転する40年ぐらい前の4WDの(ROVER)で砂漠を快走☆☆ 爽快だった☆
ベドウィンは、無免許で運転しているが、運転はうまかった!!

2010/09/01 09:09:46

★魅惑のTunisia紀行⑧~Tozeur~★...

アルジェリアの国境付近、アカデミー賞を受賞した映画
「イングリッシュ・ペイシェント」の舞台ともなった
トズールへやってまいりました。
山岳オアシス地帯で渓谷があったり滝や小川があったりと
4WDで疾走し大自然を堪能しました。
チュニジアでもアルジェリア国境付近は危険な場所と
言われていたので、少し心配でしたが、普通に観光する分には
何も無かったですね。

2010/08/31 05:08:41

2000春、韓国紀行7(4):5月3日:ポハンからウルルンへ...

<2000年5月3日(水)> 

 フェリーターミナルは9時頃でないと開かないと分かっていましたが、万一、当日券が売り切れては大変なので、早めに並ぶ事にしました。宿から見ると、沢山の観光バスが駐車されていましたので、少しあせりました。出航の送りの車だけではなく、到着便の出迎えの車もあるようにと、願いました。
 昨日の願いが通じたのか、風もそんなに強くはなく、海もそれなりに治まってきたようです。しかし、『天気晴朗なれど、波高し』の日本海です。油断はできません。

<ポハンの港>
 ポハンの港では、大分待ち時間がありました。それでも無事切符が手に入りましたので、さほど苦にはならない時間です。多くの時間を、待合室の外に張ってあったテントの中の腰掛で過ごしました。そこには自動小銃のような、相当に威力がありそうな火器を傍らに置いた若い兵士2人も座っていました。休暇中と思われる兵士も、勤務中と思われる兵士も軍服を着ていますので、なかなか判断が難しいものです。
 暫く待ったところで、日本語が達者な、30代と思われる韓国の方が寄ってきて、話し掛けてくれました。後で交換した名刺には、財閥系の大会社、三星(サムスン)に勤められているヨン・ジー・パークさんのお名前がありました。そのヨンさんは、

 「昨日出航しましたが、1時間ほど航海したところで、波の高さが3m余りになり、引き返してきました」

 「今日も波が高くなったら、引き返すかも知れませんよ。そうしたら、私はウルルンドへの出張を取り止めます」

 との話でした。

 「ウルルンドは初めてです。折角の機会ですから家族を連れてきました」

 ともお聞きしました。そのお話の後で、小学5年生のお嬢さんが顔を出されました。学制は、日本と同じ6・3・3制です。奥さんもご一緒でした。

 「学校を休ませました。父親と一緒に旅行する時は、許可がもらえます」

 と、ヨンさんは教えてくれました。

<ウルルンドへの船旅>
 車は積めないものの、800人乗りという、結構大きな船でした。スタイルも抜群です。後ろから見ますと、双胴構造の快速船です。『乗り心地もさぞや』と思ったのが間違いでした。散々、船酔いに苦しめられました。船酔いは今回が初めての経験でした。
 出航するや否や、みんな一斉に後方に向かいましたので、こちらもその後に続きました。そこは全面透明の覆いが付いたサンルームのようなデッキでした。椅子とテーブルが用意されていました。みんな椅子だけをこの部屋の縁に移動して、回りの景色を眺めるのが目的でした。暫くは、出航したポハンの港や、それに続く韓半島が見えていましたが、やがて春霞に消されるように、後方に消え去っていきました。
 ヨンさんもデッキに出てきて、暫くは4人で雑談していました。出航して1時間もすると、次第にうねりが大きくなってきました。

 「昨日は、1時間位走って、この辺りから引っ返したんですよ」

 と、ヨンさんが説明してくれました。

 「今日のうねりだと、無事に島に着けるかどう、まだ分かりませんね」

 とも解説してくれました。船酔いが襲ってきたのは、出航して2時間ほど経ってからです。デッキや通路のあちらこちらで、船酔いに苦しんでいる人を見かけました。
 まだその時は、『自分は大丈夫』とタカをくくっていました。しかし、席へ戻ろうとして、苦労をしました。揺れのために歩行がままならず、あっちこっちに捕まりながら席へ戻ったのが、いけなかったようです。不覚をとりました。タオルが身近にありましたので、まだ良かったですが、『外洋ではエチケット袋が不可欠』なことを悟りました。

<ウルルンド到着>
 船酔いのせいで、席で大人しくしていますと、『島が見えてきた』と言う声があがりました。早くも外に出て、カメラを構えている人もいました。私も左側の窓際に寄って写真を撮りました。船酔いで苦しめられただけに、待望の島影です。
 お酒の時の二日酔いと違って、船酔いは不思議です。陸へ上がってしまうと、全くダメージは残っていません。少し腹が減っただけです。
 島に上がると、全員タスキを掛けた小学生くらいの子供達が出迎えてくれました。道路の両脇に整列して、みんなにお辞儀をしていましたので、我々も歓迎された内にはいっていたようです。後で思い起こしてみますと、この島は観光が最大の資源のようであり、小さい頃から、そのことを教えている風でもありました。しかし、これは私の単なる推測に過ぎません。
 宿案内の小旗を持って大勢の人が出迎えていましたが、我々はこれからが宿探しです。ヨンさんの家族も、同じようでした。往きと帰りの切符だけを手に入れて、宿は現地調達の家族旅行のようでした。
 私達のメンバーは、宿を探すまでもなく、向こうからやってきました。宿の若奥さんらしき人が、『うちに泊まりなさい。日本語の分かる旦那がうちにはいます』と言った具合に、我々を宿に案内してくれました。歩いて行ける距離ですが、結構急な坂を上っていきました。5分ほど歩いて、派出所の横を左に上がると、すぐ近くにその民宿はありました。
 一人当たり3万ウォンと一部屋3万ウォンを間違えて差し出しました。ら、慌てて若旦那さんが、

 「全部で3万ウォンです」

 と言って、余分な金を返してくれました。後でお聞きした話ですが、

 「この島に無いものが3つ有ります。その1つが泥棒です」

 と言った、島の暮らしぶりが窺える最初の体験でした。

<4WDのタクシー>
 この若旦那は、運転手も兼ねていました。

 「4時間コースで島の全部を案内します」

 「12万ウォンですが、危険な山道や間道を通りますので、高くありません。是非使って下さい」

 と、勧められました。日本円に換算しますと、1人当たり4千円です。いつ又訪れることができるか知れませので、案内を頼むことにしました。
 交渉が成立しますと、

 「先に交番の所でエンジンを掛けて待っています」

 と言って、喜んで宿を飛び出していきました。そのタクシーは4WD車でした。予め

 「世界一危険なところを通ります。普通の車では通れません」

 と聞いていましたので、なるほどと思いましたが、4WDのタクシーに乗ったのは、今回が初めての経験でした。
 若旦那は大学を出た後、陸地(半島のこと)で働いていましたが、民宿をやるので、奥さんを連れて帰ってきたと話してくれました。

 「日本語を使わなくなって15年近くなりましたので、今は少し下手になりました」

 と、謙遜されていましたが、観光案内に全く言葉の不自由の無いレベルの日本語でした。
 島の道路はまだ完成していない箇所があり、そこからは山道に入ったり、Uターンしました。『世界一危険な道路』は、実際に通ってみて実感できました。

 「最近は50cmほどですが、冬は3mの雪が積ることもあります」

 といった山道は、とても冬場に通れるものではありません。若旦那は、冬に、一番危険なところを通過する時、

 「お客さんは降りて歩いて通りました。私だけが車に乗って通りました」

 とエピソードを語ってくれました。そのことが容易に想像できる険しさでした。『狭く、勾配が急で、しかもカーブがきつく、恐ろしい崖付き』ときています。
 出発が遅かったので、昼食を摂ることができませんでした。お菓子とバナナ1本で我慢しました。どうやら、若旦那の作戦でもあるらしいようでした。途中、外輪山の中にある店に電話して、食事を頼んでいました。そのお店で、山菜ビビンバを食べることになりました。結局、17時を回っていて、昼食兼夕食となりました。
 この外輪山は、九州の阿蘇山を連想させました。茶店と言うかレストランと形容しようか、昼食を摂った店から見渡しますと、周りはすべて山でした。阿蘇山の外輪山を少し小型にしたような景観です。

 「あそこを見てください。雪渓です」

 と言う若旦那の指差す方を見ると、さほど高くはないのに、新緑の中に雪渓が幾筋か残っていました。先ほどの『3mの雪が積もります』と言う言葉が、真実味を持って迫ってきました。
 外輪山に囲まれた盆地に保存された昔ながらの住居は、ログハウスを覆って2重の構造となっていました。冬は二重構造の間が通路になり、『入り口はすべて雪で閉ざされます』とお聞きしました。厳しい冬への備えです。

<夜の散策>
 少し暗くなってから、揃って港付近を散策しました。桟橋付近では市が立っており、この島の特産の薬草や、海産物を売っていました。その場にヨンさんも現れて、

 「海鼠(ナマコ)をここで刺身にして貰って、向こうの店で食べました」

 「一人でチンロを1本飲みました。それで、すっかり気持よくなってしまいました」

 と、笑って話されました。顔は少し赤くなっていましたが、ヨンさんは、結構いける口のようです。ご家族一緒で、そのうち奥さんや、娘さんも顔を出されました。
 時間がたっぷりありましたので、照明が点いた海岸端を歩きました。岩肌を削って作った細い通路です。照明が無い奥まで続いていました。その先は、昼間でないと、ちょっと、しり込みしてしまうような険しさです。
 アップダウンも相当にありました。それでもステンレス製の手すりが完備しており、歩き易くなっていました。道路の取付けのところには、施錠できる扉があり、夜遅くなれば、締め切ってしまうようです。転落事故防止のためでしょう。
 ヨンさんとは、あちこちの店先を覗きながら、話をしました。それとなくこちらを気遣ってくれているようで、嬉しいことでした。

 「私は、明日仕事なので、二人には、島巡りの遊覧船に乗るよう言ってあります」

 と、予定を説明してくれました。

<ウルルンド紹介>
 メモした紙が無くなりましたので、記憶だけで紹介します。若旦那にお聞きしたウルルンドの概況は、人口1万人、車1千台、小学校9校、中学校5校、高校1校です。思ったより人口が多く、学校も多いようです。いくつかの小学校の横を通りましたが、日本でいえば、分校クラスのものが多いようです。
 また、沢山あるものと、無いものを紹介してくれました。沢山あるものとは木、水と薬草、美人等です。5つほど教えてもらいました。木は、火山で生成された島にしては不思議な気がしますが、白檀の名産地です。このことは、白檀加工製品を販売していたお土産店のご年配のご主人からも、お聞きしました。

 「昔から島根県に輸出しています。香りがいいので、お香としても使えます」

 と、穏やかな話しぶりの日本語で教えて戴きました。白檀の加工製品は、家具類のほかにお土産用として、孫の手、櫛、肩叩きなどが並べられていました。袋詰や無造作に括った線香代わりの束もありました。店先の木工用旋盤で実演している店もありました。さすがに木屑から白檀の芳香が漂っていました。うなぎ店の煙と同じような効果があるかも知れません。
 水は全島が岩山であり、木も多く茂っているので納得できました。問題は「美人」です。私の結論から紹介すれば、『かかあ天下』の証明のような気がします。『よそから来た人には、そう言いなさい』と後ろから操られているではないでしょうか?実際に確認したわけではありませんから、責任は持てません。
 無いものの3つは、蛇と泥棒、もう1つは忘れてしまいました。海岸が砂ではなく、砂利でしたので、砂であったような気がします。こちらはそれなりに納得がいきます。公害も無いとお聞きした気もします。
 この島には、熱心なキリスト教信者が多いらしく、至る所で、教会が目に付きました。それも、小さな集落でさえ、3つも4つも教会が点在しています。 どうやら、幾つもの小さな宗派に分かれているようです。立派な教会や、村の集会所といった感じの質素な協会もありました。少ないながら、お寺も有るといいます。こちらはキリスト教のようには、信仰されていないようです。
 

  浦項(ポハン)の宿にて
 香る風部屋に取込み旅の宿

 オンドルの温み微に春の宿

 春の海荒じと願う宿の朝 

  ウルルンドへ向かうフェリーにて
 春の海消ぬ波濤に白き鳥

 五月晴波高くして島遠し

 島影に酔を忘るる春霞

 若草が化粧となりし岩の島

  ウルルンドへ着いて 
 春の海しぶきを避けて鳥の宿

 レリーフを刻み溶岩山萌る

 お辞儀して子らが迎える島の春

  ウルルンドの島巡りにて
 雪渓を残し麓の草萌ゆる

 黄海老根の鉢置かれたる石畳

 島岬染めて春日は落ちにけり

  ウルルンドの民宿にて
 春蘭の窓辺で香る島の朝

2010/08/29 02:08:26

2000春、韓国紀行7(1)『鬱陵島と韓半島半周の旅』:はじ...

<はじめに>

 今年、2000年のゴールデンウィーク、1週間余りの韓国旅行を満喫する事ができました。今回の旅の友は、いつものMuさんと、今回はじめてご一緒するUeさんのお二人です。

<旅の計画>
 主な目的地は、何回かチャレンジして果たせなかった鬱陵島、日本読みで『うつりょうとう』、韓国読みで『ウルルンド』です。それともう一つは、このところ新聞などで紹介され、有名になりました。日本名サヤカの、韓国での居住地でした。この地をウロクトンと言います。ウルルンドはトンヘ(日本海)の沖合い、ウロクトンはテグーの近郊になります。
 いずれも初めてのところであり、予め下調べをMuさんがやってくれていたものの、無事目的地に到着できるかどうかは、なんとも予断を許さない旅行計画でした。
 今回は、更に欲張って束草(ソクチョ)と雪岳山(ソラクサン)、それに天安(チョナン)近郊の独立記念館等も予定に組み込みました。その結果、韓国半周に、離れ島巡りをプラスした、なんとも贅沢な行程となりました。
 最初の計画では、連休直前の28日に出発し、5日頃に帰国する計画を立てました。参加者のスケジュールがかみ合わず、結局、1日出発、8日帰国の7泊8日の旅となりました。連休が7日の日曜日まででしたから、1日だけ、はみ出してしまいました。帰りの飛行便が取れなかったためです。

<日韓共同切符>
 往きは日韓共同切符を入手しようとしましたが、残念ながら果たせませんでした。日本の新幹線、韓釜フェリーと韓国の新幹線、セマウルとの組合せで2万5千円余り、お値打ちチケットです。名古屋で1箇所だけ販売している名古屋駅のJRツアーズで交渉しましたが、売り切れでした。
 そこで、やむなく新幹線と韓釜フェリーのバラ売りを購入しました。韓釜フェリーが満席だったためではなく、組合せ切符が売り切れていたためです。セマウル号の分を除いて2万5千円余りですから、セマウル号の分がお得なチケットです。韓釜フェリーの切符は、3人分を刈谷駅のJRツアーズで購入しました。試しにセマウル号の切符を販売しているところに照会してもらいましたが、『日本国内では、単体での販売はしていません』との返事でした。
 往きは韓釜フェリー、帰りは釜山からの大韓航空の予約ができましたので、紆余曲折はありましたが、何とか旅行が成立しました。ゴールデンウィークの旅行計画は、何かと大変です。

*******************************************

*元資料の手造り旅行記『韓国紀行7』、副題『鬱陵島と韓半島半周の旅』の目次です。

<目 次>

<はじめに>
旅の計画(2)
日韓共同切符(2)

<2000年5月1日(月)>
下関タワー(4)
カタマラン号(4)

<2000年5月2日(火)>
夜の嵐(8)
釜山上陸(8)
帰りの準備(9)
慶州・古墳(9)
慶州・仏国寺と石窟餡(10)
浦項(ポハン)へ(11)

<2000年5月3日(水)>
ポハンの港(14)
ウルルンドへの船旅(15)
ウルルンド到着(16)
4WDのタクシー(17)
夜の散策(18)
ウルルンド紹介(18)

<2000年5月4日(木)>
ヨンさんと再び(22)
岬の展望台(23)
ドクト(24)
ウルルンドからムコへ(25)
ムコからソクチョへ(25)
ソクチョの街(26)
テポドン(26)

<2000年5月5日(金)>
雪岳山(30)
親切なタクシー運転手さん(31)
ソクチョからインチョンへ(32)
変わったインチョンの街(33)

<2000年5月6日(土)>
チョナン(天安)の街(36)
独立記念館(36)
チョナンからテグーへ(37)
テグー(大邸)の街(37)
バス案内システム(38)
小さな焼肉店(39)

<2000年5月7日(日)>
ウロクドン(友鹿洞)へのバス(42)
ノクトンショウォン(鹿堂書院)(43)
ウロクトンでの昼食(44)
再び釜山へ(44)
釜山の宿(45)

<2000年5月8日(月)>
帰国(47)

<あとがき>


*元資料の『資料・写真集』の目次です。

<写真資料>

下関から釜山へ(1)
釜山から慶州へ(9)
仏国寺と石窟庵(13)
浦項から鬱陵島へ(21)
鬱陵島から束草へ(45)

雪岳山(51)
束草から仁川へ(58)
仁川から天安へ(65)
天安から大邸へ(71)
友鹿洞(77)

釜山再び、帰国(83)

<会計資料>(85)

<パンフレットその他>(92)

2010/08/29 02:08:59

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