4WD ワゴンに関する自動車
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スバル サンバーディアスバン
1999(H11)年に新規格適合車として登場したこのモデルは、Y字型シャーシフレーム構造をもつ環状力骨ボディを採用。フルキャブオーバー車ながら基準を上回る安全性能を実現している。乗用ワゴンはサンバーディアスとなり、2ドア+両開きスライドドア+ハッチゲートというスタイルだ。RRのメリットを最大限生かした低床フロアや広大なラゲージスペースが魅力で、シートはもちろんフルフラットになる。エンジンは直4SOHCの自然吸気とスーパーチャージャー付きの2種類からを選ぶことが可能で、ミッションは3ATと5MT、またセレクティブ4WDも設定されている。(1999.2)
- ボディタイプ
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ハッチバック
- ボディサイズ
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3395×1475×1905
- カラー
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プラチナシルバー・メタリック, シルバー, サファイアブルーM/プラチナシルバーM, 紺色, ポーラーホワイト/プラチナシルバーM, 白, ハービィグリーン・メタリック, 緑色, ポーラーホワイト, ハービィグリーンM/プラチナシルバーM, サファイアブルー・メタリック, 青色
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スバル サンバーディアスワゴン
最大の特徴はRR駆動方式のフルキャブオーバー車であるということ
最大の特徴はRR駆動方式のフルキャブオーバー車であるということ。そのスペース効率は軽バン随一だ。1990(H2)年登場の7代目は、ビジネスモデルのトライシリーズに加えてより乗用車風の装備が施されたディアスシリーズを設定するなど、より普通に使えるモデルを意識した。レトロチックな顔立ちが可愛いクラシックシリーズもその一環である。駆動方式はRRと安定感のある4WDを設定。トランスミッションにはMT、ATに加えて無段変速CVTもグレードによっては選ぶことができた。2ドア+両開きスライドドア+ハッチゲージの5ドアスタイルを採用した。(1990.2)
- ボディタイプ
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ハッチバック
- ボディサイズ
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3295×1395×1890
- カラー
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ポーラーホワイト, 白, アトランティックブルー・メタリック, 紺色, 青色
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スバル サンバーディアスワゴン
1999(H11)年に新規格適合車として登場したこのモデルは、Y字型シャーシフレーム構造をもつ環状力骨ボディを採用。フルキャブオーバー車ながら基準を上回る安全性能を実現している。乗用ワゴンはサンバーディアスとなり、2ドア+両開きスライドドア+ハッチゲートというスタイルだ。RRのメリットを最大限生かした低床フロアや広大なラゲージスペースが魅力で、シートはもちろんフルフラットになる。エンジンは直4SOHCの自然吸気とスーパーチャージャー付きの2種類からを選ぶことが可能で、ミッションは3ATと5MT、またセレクティブ4WDも設定されている。(1999.2)
- ボディタイプ
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ハッチバック
- ボディサイズ
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3395×1475×1900
- カラー
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プラチナシルバー・メタリック, シルバー, パストラルグリーン・メタリック, 緑色, カメリアレッド・メタリック, 赤色
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スバル ディアスワゴン
軽キャブオーバーワゴンのサンバーディアスが装いも新たにディアスワゴンとして登場した
軽キャブオーバーワゴンのサンバーディアスが装いも新たにディアスワゴンとして登場した。スバルが軽自動車開発から撤退したこともあり、本モデルはダイハツ アトレーワゴンのOEM車となる。背の高い箱型ボディにより広大な室内空間を実現した。一部グレードには左リアドアに挟み込み防止パワースライドドア、半ドア防止のスライドドアイージークローザーなど利便性の高い装備が施される。エンジンは658ccの直3DOHC+ターボ。これに4ATが組み合わされる。装備の違いによる3グレードが用意され、どのグレードでもFFか4WDの選択が可能。価格はFF LSの137万250円から4WD RS Limitedの169万5750円まで。(2009.9)
- ボディタイプ
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ハッチバック
- ボディサイズ
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3395×1475×1875
- カラー
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ブライトシルバー・メタリック, シルバー, ブラック・マイカメタリック, 黒, パール・ホワイトIII, 白, プラムブラウンクリスタル・マイカ, 茶色, ブルーマイカ・メタリック, 青色
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スバル ドミンゴ
2代目となるドミンゴはフロントに小さなグリルガードを装着したRVテイストあふれる外観のミニバンだ
2代目となるドミンゴはフロントに小さなグリルガードを装着したRVテイストあふれる外観のミニバンだ。軽自動車をベースにした全長3.5mのボディに多彩なアレンジが可能なマルチファンクションシートと呼ばれる3列シートをレイアウト。1.2Lの直3エンジンをリアタイヤの上に置き、RR駆動方式を採用し、床がフラットで大きなキャビンスペースを確保。またフルタイム4WDも用意され、雪道にも高い安定性を誇る。ミッションは5MTとECVTの2タイプ。4輪独立のサスペンションを採用し、乗り心地も高いレベルを達成。大きなガラスサンルーフの「サンサンルーフ」など快適装備が満載だ。(1994.6)
- ボディタイプ
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ミニバン
- ボディサイズ
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3525×1415×1925
- カラー
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ディープグリーンM/ミディアムグレーM, 緑色, グレー, ラベンダーミストM/ブライトシルバーM, 紫色, シルバー, ブライトシルバーM/ミディアムグレーM, ミディアムグレーメタリック
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スバル フォレスター
デビュー当初は最高出力250psの水平対向4気筒DOHCターボエンジン搭載車しかラインナップされてなく、インプレッサWRX級のSUVと騒がれたものだった。4WDシステムはスバル独自のシンメトリー4WDで、5MT車にはビスカスLSD式センターデフ方式を、4AT車にはアクティブトルクスプリット方式をそれぞれ採用した。ミドルサイズのSUVにしては低い全高と、200mmという十分なロードクリアランス、そしてワイドな車幅とブリスターフェンダーなど、そのシルエットは独特であった。(1997.2)
- ボディタイプ
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クロカン・SUV
- ボディサイズ
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4450×1735×1595, 4450×1735×1580
- カラー
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ブラックマイカ/ブラックマイカ, 黒, ブラックマイカ/スレートメタリック, グレー, フラボノグリーンM/スレートメタリック, 緑色, ライトシルバーM/ライトシルバーM, シルバー, ライトシルバーM/スレートメタリック, ローズレッドマイカ/スレートメタリック, 赤色, ピュアホワイト/ピュアホワイト モノトーン, 白, ブラック・マイカ, ライトシルバー・メタリック, ロイヤルブルーマイカ/ロイヤルブルーMc, 紺色, 青色, ロイヤルブルーマイカ/ストレートM, ロイヤルブルーマイカ/スレートM, ピュアホワイト/ライトシルバーメタリック
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スバル フォレスター
S/tb-STiの4WDシステムをVTD-4WDに変更
S/tb-STiの4WDシステムをVTD-4WDに変更。同グレードにBBS製アルミホイールを装備し、ステアリングレシオを変更することでタイプIIに進化した。(2000.12)
- ボディタイプ
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クロカン・SUV
- ボディサイズ
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4460×1735×1595, 4460×1735×1580, 4460×1735×1535, 4485×1735×1535
- カラー
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ブラックマイカ, 黒, ピュアホワイト, 白, プレミアムシルバー・メタリック, シルバー, シルキーゴールドM/コーストグレーM, ゴールド, グレー, サバンナグリーンM/コーストグレーM, 緑色, ブラックマイカ/コーストグレーメタリック, シャイニーレッドマイカ, 赤色, プレミアムシルバーM/コーストグレーM, グランブルーマイカ/コーストグレーM, 青色, プレミアムシルバーメタリック, プレミアムホワイトパールMc/アイボリーMc, ブラック・マイカ
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スバル フォレスター
スタイリングは初代のキープコンセプトで、背は高いがキャビンは薄めというオリジナルデザインを継承している。やや吊り上がったフロントライトと台形グリル、六角形のリアスタイルが特徴だ。注目の水平対向エンジンは新開発の2Lのクロスオーバーターボを搭載。低回転域から力強い加速が得られるとともに2Lターボ車としては優秀な燃費性能と低排出ガス性能を実現している。ほかには2LのSOHC16バルブエンジンも設定された。4ATモデルにはトルクスプリット方式4WDを、5MTモデルにはビスカスLSDセンターデフ方式4WDをそれぞれ採用し高い運動性能を発揮する。(2002.2)
- ボディタイプ
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クロカン・SUV
- ボディサイズ
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4450×1735×1590, 4450×1735×1585, 4445×1735×1550
- カラー
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ピュアホワイト, 白, コアレッドメタリック, 赤色, プレミアムシルバーメタリック, シルバー, シルキーゴールドメタリック, ゴールド, ブラックトパーズマイカ/グレー, 黒, ナチュラルグリーンマイカ/カーボングレーM, 緑色, グレー, パシフィカブルーM/カーボングレーM, 青色, プレミアムシルバーメタリック/グレー, コアレッドメタリック/グレー
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スバル フォレスター
ワゴンライクな使い勝手良さと4WDの走破性をもつ、手頃なサイズのクロスオーバーSUVの3代目
ワゴンライクな使い勝手良さと4WDの走破性をもつ、手頃なサイズのクロスオーバーSUVの3代目。シャーシから一新させるとともに、スタイリングは大きく変更し正常進化させている。DOHC化された2LのNAとターボの水平対向エンジンを搭載、左右対称レイアウトをもつスバル独自のシンメトリカルAWDシステムを装備する。また環境性能にも配慮され、重量増を抑えたボディ構造や燃焼効率のアップなども図られている。バンパーとホイールアーチでSUVらしさを演出した外観は、鷹の目をモチーフにしたヘッドライトでスバルらしさを表現。広くなった室内は、ウインドウ拡大や着座位置の上昇などで見切りも良くなった。(2007.12)
- ボディタイプ
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クロカン・SUV
- ボディサイズ
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4560×1780×1675
- カラー
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オブシディアンブラック・パール, 黒, サテンホワイト・パール, 白, スパークシルバー・メタリック, シルバー, セージグリーン・メタリック, 緑色, ニューポートブルー・パール, 青色, カメリアレッド・メタリック, 赤色, ダークグレー・メタリック, グレー, トパーズゴールド・メタリック, ゴールド, サンライトゴールド・オパール
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スバル プレオ
乗用車の「F」、商用車のバン「A」の2グレードに集約し、リアデザインの変更や、フロント&サイドターンランプのクリアレンズ化、4センサー4チャンネルABS(バン「A」の4WD車を除く)、パワーウインドゥがオプション設定された。(2004.1)
- ボディタイプ
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ハッチバック
- ボディサイズ
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3395×1475×1550
- カラー
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ピュアホワイト, 白, オブシディアンブラック・パール, 黒, シャイニーシルバー・メタリック, シルバー, ライトパープル・オパール, 紫色, シルキーホワイト・パール, アストラルブルー・オパール, 青色
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4WD ワゴンに関する旅行記
- 砂漠だぜ!! 『ワディ・ラム』 2008 IN ヨルダン!!...
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アカバからワディ・ラムへ☆
ワディ・ラム→ベドウィンが運転する40年ぐらい前の4WDの(ROVER)で砂漠を快走☆☆ 爽快だった☆
ベドウィンは、無免許で運転しているが、運転はうまかった!!2010/09/01 09:09:46
- ★魅惑のTunisia紀行⑧~Tozeur~★...
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アルジェリアの国境付近、アカデミー賞を受賞した映画
「イングリッシュ・ペイシェント」の舞台ともなった
トズールへやってまいりました。
山岳オアシス地帯で渓谷があったり滝や小川があったりと
4WDで疾走し大自然を堪能しました。
チュニジアでもアルジェリア国境付近は危険な場所と
言われていたので、少し心配でしたが、普通に観光する分には
何も無かったですね。2010/08/31 05:08:41
- 2000春、韓国紀行7(4):5月3日:ポハンからウルルンへ...
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<2000年5月3日(水)>
フェリーターミナルは9時頃でないと開かないと分かっていましたが、万一、当日券が売り切れては大変なので、早めに並ぶ事にしました。宿から見ると、沢山の観光バスが駐車されていましたので、少しあせりました。出航の送りの車だけではなく、到着便の出迎えの車もあるようにと、願いました。
昨日の願いが通じたのか、風もそんなに強くはなく、海もそれなりに治まってきたようです。しかし、『天気晴朗なれど、波高し』の日本海です。油断はできません。
<ポハンの港>
ポハンの港では、大分待ち時間がありました。それでも無事切符が手に入りましたので、さほど苦にはならない時間です。多くの時間を、待合室の外に張ってあったテントの中の腰掛で過ごしました。そこには自動小銃のような、相当に威力がありそうな火器を傍らに置いた若い兵士2人も座っていました。休暇中と思われる兵士も、勤務中と思われる兵士も軍服を着ていますので、なかなか判断が難しいものです。
暫く待ったところで、日本語が達者な、30代と思われる韓国の方が寄ってきて、話し掛けてくれました。後で交換した名刺には、財閥系の大会社、三星(サムスン)に勤められているヨン・ジー・パークさんのお名前がありました。そのヨンさんは、
「昨日出航しましたが、1時間ほど航海したところで、波の高さが3m余りになり、引き返してきました」
「今日も波が高くなったら、引き返すかも知れませんよ。そうしたら、私はウルルンドへの出張を取り止めます」
との話でした。
「ウルルンドは初めてです。折角の機会ですから家族を連れてきました」
ともお聞きしました。そのお話の後で、小学5年生のお嬢さんが顔を出されました。学制は、日本と同じ6・3・3制です。奥さんもご一緒でした。
「学校を休ませました。父親と一緒に旅行する時は、許可がもらえます」
と、ヨンさんは教えてくれました。
<ウルルンドへの船旅>
車は積めないものの、800人乗りという、結構大きな船でした。スタイルも抜群です。後ろから見ますと、双胴構造の快速船です。『乗り心地もさぞや』と思ったのが間違いでした。散々、船酔いに苦しめられました。船酔いは今回が初めての経験でした。
出航するや否や、みんな一斉に後方に向かいましたので、こちらもその後に続きました。そこは全面透明の覆いが付いたサンルームのようなデッキでした。椅子とテーブルが用意されていました。みんな椅子だけをこの部屋の縁に移動して、回りの景色を眺めるのが目的でした。暫くは、出航したポハンの港や、それに続く韓半島が見えていましたが、やがて春霞に消されるように、後方に消え去っていきました。
ヨンさんもデッキに出てきて、暫くは4人で雑談していました。出航して1時間もすると、次第にうねりが大きくなってきました。
「昨日は、1時間位走って、この辺りから引っ返したんですよ」
と、ヨンさんが説明してくれました。
「今日のうねりだと、無事に島に着けるかどう、まだ分かりませんね」
とも解説してくれました。船酔いが襲ってきたのは、出航して2時間ほど経ってからです。デッキや通路のあちらこちらで、船酔いに苦しんでいる人を見かけました。
まだその時は、『自分は大丈夫』とタカをくくっていました。しかし、席へ戻ろうとして、苦労をしました。揺れのために歩行がままならず、あっちこっちに捕まりながら席へ戻ったのが、いけなかったようです。不覚をとりました。タオルが身近にありましたので、まだ良かったですが、『外洋ではエチケット袋が不可欠』なことを悟りました。
<ウルルンド到着>
船酔いのせいで、席で大人しくしていますと、『島が見えてきた』と言う声があがりました。早くも外に出て、カメラを構えている人もいました。私も左側の窓際に寄って写真を撮りました。船酔いで苦しめられただけに、待望の島影です。
お酒の時の二日酔いと違って、船酔いは不思議です。陸へ上がってしまうと、全くダメージは残っていません。少し腹が減っただけです。
島に上がると、全員タスキを掛けた小学生くらいの子供達が出迎えてくれました。道路の両脇に整列して、みんなにお辞儀をしていましたので、我々も歓迎された内にはいっていたようです。後で思い起こしてみますと、この島は観光が最大の資源のようであり、小さい頃から、そのことを教えている風でもありました。しかし、これは私の単なる推測に過ぎません。
宿案内の小旗を持って大勢の人が出迎えていましたが、我々はこれからが宿探しです。ヨンさんの家族も、同じようでした。往きと帰りの切符だけを手に入れて、宿は現地調達の家族旅行のようでした。
私達のメンバーは、宿を探すまでもなく、向こうからやってきました。宿の若奥さんらしき人が、『うちに泊まりなさい。日本語の分かる旦那がうちにはいます』と言った具合に、我々を宿に案内してくれました。歩いて行ける距離ですが、結構急な坂を上っていきました。5分ほど歩いて、派出所の横を左に上がると、すぐ近くにその民宿はありました。
一人当たり3万ウォンと一部屋3万ウォンを間違えて差し出しました。ら、慌てて若旦那さんが、
「全部で3万ウォンです」
と言って、余分な金を返してくれました。後でお聞きした話ですが、
「この島に無いものが3つ有ります。その1つが泥棒です」
と言った、島の暮らしぶりが窺える最初の体験でした。
<4WDのタクシー>
この若旦那は、運転手も兼ねていました。
「4時間コースで島の全部を案内します」
「12万ウォンですが、危険な山道や間道を通りますので、高くありません。是非使って下さい」
と、勧められました。日本円に換算しますと、1人当たり4千円です。いつ又訪れることができるか知れませので、案内を頼むことにしました。
交渉が成立しますと、
「先に交番の所でエンジンを掛けて待っています」
と言って、喜んで宿を飛び出していきました。そのタクシーは4WD車でした。予め
「世界一危険なところを通ります。普通の車では通れません」
と聞いていましたので、なるほどと思いましたが、4WDのタクシーに乗ったのは、今回が初めての経験でした。
若旦那は大学を出た後、陸地(半島のこと)で働いていましたが、民宿をやるので、奥さんを連れて帰ってきたと話してくれました。
「日本語を使わなくなって15年近くなりましたので、今は少し下手になりました」
と、謙遜されていましたが、観光案内に全く言葉の不自由の無いレベルの日本語でした。
島の道路はまだ完成していない箇所があり、そこからは山道に入ったり、Uターンしました。『世界一危険な道路』は、実際に通ってみて実感できました。
「最近は50cmほどですが、冬は3mの雪が積ることもあります」
といった山道は、とても冬場に通れるものではありません。若旦那は、冬に、一番危険なところを通過する時、
「お客さんは降りて歩いて通りました。私だけが車に乗って通りました」
とエピソードを語ってくれました。そのことが容易に想像できる険しさでした。『狭く、勾配が急で、しかもカーブがきつく、恐ろしい崖付き』ときています。
出発が遅かったので、昼食を摂ることができませんでした。お菓子とバナナ1本で我慢しました。どうやら、若旦那の作戦でもあるらしいようでした。途中、外輪山の中にある店に電話して、食事を頼んでいました。そのお店で、山菜ビビンバを食べることになりました。結局、17時を回っていて、昼食兼夕食となりました。
この外輪山は、九州の阿蘇山を連想させました。茶店と言うかレストランと形容しようか、昼食を摂った店から見渡しますと、周りはすべて山でした。阿蘇山の外輪山を少し小型にしたような景観です。
「あそこを見てください。雪渓です」
と言う若旦那の指差す方を見ると、さほど高くはないのに、新緑の中に雪渓が幾筋か残っていました。先ほどの『3mの雪が積もります』と言う言葉が、真実味を持って迫ってきました。
外輪山に囲まれた盆地に保存された昔ながらの住居は、ログハウスを覆って2重の構造となっていました。冬は二重構造の間が通路になり、『入り口はすべて雪で閉ざされます』とお聞きしました。厳しい冬への備えです。
<夜の散策>
少し暗くなってから、揃って港付近を散策しました。桟橋付近では市が立っており、この島の特産の薬草や、海産物を売っていました。その場にヨンさんも現れて、
「海鼠(ナマコ)をここで刺身にして貰って、向こうの店で食べました」
「一人でチンロを1本飲みました。それで、すっかり気持よくなってしまいました」
と、笑って話されました。顔は少し赤くなっていましたが、ヨンさんは、結構いける口のようです。ご家族一緒で、そのうち奥さんや、娘さんも顔を出されました。
時間がたっぷりありましたので、照明が点いた海岸端を歩きました。岩肌を削って作った細い通路です。照明が無い奥まで続いていました。その先は、昼間でないと、ちょっと、しり込みしてしまうような険しさです。
アップダウンも相当にありました。それでもステンレス製の手すりが完備しており、歩き易くなっていました。道路の取付けのところには、施錠できる扉があり、夜遅くなれば、締め切ってしまうようです。転落事故防止のためでしょう。
ヨンさんとは、あちこちの店先を覗きながら、話をしました。それとなくこちらを気遣ってくれているようで、嬉しいことでした。
「私は、明日仕事なので、二人には、島巡りの遊覧船に乗るよう言ってあります」
と、予定を説明してくれました。
<ウルルンド紹介>
メモした紙が無くなりましたので、記憶だけで紹介します。若旦那にお聞きしたウルルンドの概況は、人口1万人、車1千台、小学校9校、中学校5校、高校1校です。思ったより人口が多く、学校も多いようです。いくつかの小学校の横を通りましたが、日本でいえば、分校クラスのものが多いようです。
また、沢山あるものと、無いものを紹介してくれました。沢山あるものとは木、水と薬草、美人等です。5つほど教えてもらいました。木は、火山で生成された島にしては不思議な気がしますが、白檀の名産地です。このことは、白檀加工製品を販売していたお土産店のご年配のご主人からも、お聞きしました。
「昔から島根県に輸出しています。香りがいいので、お香としても使えます」
と、穏やかな話しぶりの日本語で教えて戴きました。白檀の加工製品は、家具類のほかにお土産用として、孫の手、櫛、肩叩きなどが並べられていました。袋詰や無造作に括った線香代わりの束もありました。店先の木工用旋盤で実演している店もありました。さすがに木屑から白檀の芳香が漂っていました。うなぎ店の煙と同じような効果があるかも知れません。
水は全島が岩山であり、木も多く茂っているので納得できました。問題は「美人」です。私の結論から紹介すれば、『かかあ天下』の証明のような気がします。『よそから来た人には、そう言いなさい』と後ろから操られているではないでしょうか?実際に確認したわけではありませんから、責任は持てません。
無いものの3つは、蛇と泥棒、もう1つは忘れてしまいました。海岸が砂ではなく、砂利でしたので、砂であったような気がします。こちらはそれなりに納得がいきます。公害も無いとお聞きした気もします。
この島には、熱心なキリスト教信者が多いらしく、至る所で、教会が目に付きました。それも、小さな集落でさえ、3つも4つも教会が点在しています。 どうやら、幾つもの小さな宗派に分かれているようです。立派な教会や、村の集会所といった感じの質素な協会もありました。少ないながら、お寺も有るといいます。こちらはキリスト教のようには、信仰されていないようです。
浦項(ポハン)の宿にて
香る風部屋に取込み旅の宿
オンドルの温み微に春の宿
春の海荒じと願う宿の朝
ウルルンドへ向かうフェリーにて
春の海消ぬ波濤に白き鳥
五月晴波高くして島遠し
島影に酔を忘るる春霞
若草が化粧となりし岩の島
ウルルンドへ着いて
春の海しぶきを避けて鳥の宿
レリーフを刻み溶岩山萌る
お辞儀して子らが迎える島の春
ウルルンドの島巡りにて
雪渓を残し麓の草萌ゆる
黄海老根の鉢置かれたる石畳
島岬染めて春日は落ちにけり
ウルルンドの民宿にて
春蘭の窓辺で香る島の朝2010/08/29 02:08:26
- 2000春、韓国紀行7(1)『鬱陵島と韓半島半周の旅』:はじ...
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<はじめに>
今年、2000年のゴールデンウィーク、1週間余りの韓国旅行を満喫する事ができました。今回の旅の友は、いつものMuさんと、今回はじめてご一緒するUeさんのお二人です。
<旅の計画>
主な目的地は、何回かチャレンジして果たせなかった鬱陵島、日本読みで『うつりょうとう』、韓国読みで『ウルルンド』です。それともう一つは、このところ新聞などで紹介され、有名になりました。日本名サヤカの、韓国での居住地でした。この地をウロクトンと言います。ウルルンドはトンヘ(日本海)の沖合い、ウロクトンはテグーの近郊になります。
いずれも初めてのところであり、予め下調べをMuさんがやってくれていたものの、無事目的地に到着できるかどうかは、なんとも予断を許さない旅行計画でした。
今回は、更に欲張って束草(ソクチョ)と雪岳山(ソラクサン)、それに天安(チョナン)近郊の独立記念館等も予定に組み込みました。その結果、韓国半周に、離れ島巡りをプラスした、なんとも贅沢な行程となりました。
最初の計画では、連休直前の28日に出発し、5日頃に帰国する計画を立てました。参加者のスケジュールがかみ合わず、結局、1日出発、8日帰国の7泊8日の旅となりました。連休が7日の日曜日まででしたから、1日だけ、はみ出してしまいました。帰りの飛行便が取れなかったためです。
<日韓共同切符>
往きは日韓共同切符を入手しようとしましたが、残念ながら果たせませんでした。日本の新幹線、韓釜フェリーと韓国の新幹線、セマウルとの組合せで2万5千円余り、お値打ちチケットです。名古屋で1箇所だけ販売している名古屋駅のJRツアーズで交渉しましたが、売り切れでした。
そこで、やむなく新幹線と韓釜フェリーのバラ売りを購入しました。韓釜フェリーが満席だったためではなく、組合せ切符が売り切れていたためです。セマウル号の分を除いて2万5千円余りですから、セマウル号の分がお得なチケットです。韓釜フェリーの切符は、3人分を刈谷駅のJRツアーズで購入しました。試しにセマウル号の切符を販売しているところに照会してもらいましたが、『日本国内では、単体での販売はしていません』との返事でした。
往きは韓釜フェリー、帰りは釜山からの大韓航空の予約ができましたので、紆余曲折はありましたが、何とか旅行が成立しました。ゴールデンウィークの旅行計画は、何かと大変です。
*******************************************
*元資料の手造り旅行記『韓国紀行7』、副題『鬱陵島と韓半島半周の旅』の目次です。
<目 次>
<はじめに>
旅の計画(2)
日韓共同切符(2)
<2000年5月1日(月)>
下関タワー(4)
カタマラン号(4)
<2000年5月2日(火)>
夜の嵐(8)
釜山上陸(8)
帰りの準備(9)
慶州・古墳(9)
慶州・仏国寺と石窟餡(10)
浦項(ポハン)へ(11)
<2000年5月3日(水)>
ポハンの港(14)
ウルルンドへの船旅(15)
ウルルンド到着(16)
4WDのタクシー(17)
夜の散策(18)
ウルルンド紹介(18)
<2000年5月4日(木)>
ヨンさんと再び(22)
岬の展望台(23)
ドクト(24)
ウルルンドからムコへ(25)
ムコからソクチョへ(25)
ソクチョの街(26)
テポドン(26)
<2000年5月5日(金)>
雪岳山(30)
親切なタクシー運転手さん(31)
ソクチョからインチョンへ(32)
変わったインチョンの街(33)
<2000年5月6日(土)>
チョナン(天安)の街(36)
独立記念館(36)
チョナンからテグーへ(37)
テグー(大邸)の街(37)
バス案内システム(38)
小さな焼肉店(39)
<2000年5月7日(日)>
ウロクドン(友鹿洞)へのバス(42)
ノクトンショウォン(鹿堂書院)(43)
ウロクトンでの昼食(44)
再び釜山へ(44)
釜山の宿(45)
<2000年5月8日(月)>
帰国(47)
<あとがき>
*元資料の『資料・写真集』の目次です。
<写真資料>
下関から釜山へ(1)
釜山から慶州へ(9)
仏国寺と石窟庵(13)
浦項から鬱陵島へ(21)
鬱陵島から束草へ(45)
雪岳山(51)
束草から仁川へ(58)
仁川から天安へ(65)
天安から大邸へ(71)
友鹿洞(77)
釜山再び、帰国(83)
<会計資料>(85)
<パンフレットその他>(92)2010/08/29 02:08:59
- 2000秋、イタリア旅行記(9):10月10日ベネチア...
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<2000年10月10日(火)>
素晴らしいフィレンチェの街に未だ未練は残るものの、今日は次の目的地、ベネチアへの移動です。フィレンチェから東寄りの方向へ向かって、更に北上です。ピサの町がリグニア海に面していたのに対し、こちらは同じ地中海に繋がってはいるものの、アドリア海に面しています。フィレンチェからは275キロの距離が有り、途中、他の街に立ち寄る事も無く、一路ベネチアへと向かいました。
<これもイタリア式?>
ベネチアでのホテルは、島の方ではなく、ベネチア郊外のメストレ町、「ボローニャ・エ・スタッチオーネ」と言う名でした。ベネチアへの途中なので、先にホテルに荷物を降ろすことになりました。この荷物を下ろす時に一悶着ありました。
ホテルの前でバス2台に挟まれて、バックも前進もできず、乗用車が動けなくなってしまったことに起因します。我々のバスより、後に着けたバスの運転手さんと、この乗用車の持ち主が激しい言い争いになり、怒った乗用車の運転手さんがバスの番号を控えて、会社への抗議する姿勢を見せていました。荷物降しを一時中断し、バスを後退させればよいだけの事ですが、バスの運転手さんは頑として、その素振りも見せませんでした。ホテル前の一般車の駐停車禁止場所かどうか知れませんが、日本人では、中々理解できない双方の言い争いでした。
実は、帰りの機内で、私自身がこのようなイタリア人の気質に遭遇しました。土産物売りのワゴンで通路を2箇所とも塞ぎ、あと1、2mバックしてもらえれば私は座席に戻れたのに、10分近くそのような状態で待たされました。複数の人が、私が待っているのを分かっていながら、全く気にとめる風はありませんでした。もし、日本人のシュチュワーデスだったら、気が付いた人が、必ずワゴンを脇によけるとか、1、2m程一旦は動かしてくれるとか、何らかのアクションを起こしてくれたはずです。この時のホテルの前での事を思い出しましたので、私も気長く待ちました。ほかにも私と同じように待たれた人がいました。今でも、このイタリア人の論理、行動が良く理解できないでいます。
<ベネチア、サンマルコ寺院>
限りなく沈みゆく町ベネチアは、正確には島でなく、アドリア海の内海に浮かぶラグーナ(干潟)がその始まりです。現地ガイドさんにもお聞きしましたが、改めてガイドブックで調べました。「ゲルマン民族の脅威にさらされた本土のアドリア海沿岸の住民が、ラグーナに避難を繰り返していたが、ロンバルト族に追われて、7世紀になって本格的に移住し始めた」と、解説してありました。
その後、「海上技術を駆使して繁栄を誇り、14世紀にはその頂点に達した。しかし、19世紀目前の1797年、ナポレオンの入城によって、約1000年のベネチア共和国の幕を閉じた」と続けられていました。その栄華を誇るような建物群で、今も満たされています。
桟橋からサンマルコ寺院前の広場までは、海に平行に歩きました。少し距離がありましたが、露店や古い建物群を右手に見ながらなので、市内散策を兼ねてまし。たどり着いたサンマルコ広場には1mほどの高さの桟敷が架けられていました。先に到着された添乗員の方の話の又聞きでは、
『2日ほど前は、膝の辺りまでサンマルコ広場は満潮に満たされていました』
と、お聞きしました。桟敷が置いてあった理由が、実感できました。寺院の中の床も濡れていて、海水が浸入した跡が残っていました。所々にはタイルの上に古いカーペットも敷いてありましたが、凸凹になっていて、建物への影響も出ているようでした。
現地ガイドさんの話によりますと
『ベネチアの産業振興のために、工場誘致をし、地下水を大量にくみ上げたのが、地盤沈下の原因です』
と、少し悲しそうな表情で説明されていました。最近、古書店で見つけた「沈みゆくベネチア」を日本人写真家が写した豪華本がありました。10年以上前の出版で、定価の半額の値札がついていたものの、2500円ほどだったので、買うのはとりあえずさし控えました。
地盤沈下は、随分前から心配されているようにも思えるし、急速に工業化が進んだ近年の問題であるのかも知れません。地球温暖化の影響が真っ先に現れる地域である事は疑いありません。
これだけの文化遺産を蓄えた島ですから、イザと言った時の疎開策も検討されているのではないでしょうか。もし、疎開できたとしてもほんの一部に過ぎないでしょうし、建物の大部分や、天井画、壁画の類も大きな困難が横たわっているように思えます。
島の構造から、オランダのように、堤防で防ぐ事はできないようです。何よりも地球温暖化問題が顕在化してきたら、それどころではない深刻さが予想され、もっと気にかかる事柄です。
<ドゥカーレ宮>
サンマルコ寺院に隣接しているこの建物は、共和国時代の行政、裁判所などが置かれた権力の中枢部分です。建物自体がゴシック様式の傑作とされていますが、壁画、天井画なども見応えがありました。ティントレット達の大規模な絵画の傑作は、保存状態も申し分ありません。絵画類は写真が撮れないのが残念でした。
裁判所の見学が終わった後は、そのまま監獄への通路も見る事ができます。その途中で、水路に架かった溜息橋を通る事になります。
ゴンドラでカンツォーネ聞きながらこの運河を回遊するオプショナルツアーを申し込んでいましたが、生憎の雨模様で、おまけに冷え込んできましたので、毛受さんと相談してキャンセルする事にしました。
この件では、またまた渡辺さんにお世話になってしまいました。内緒の話を書いてしまっては渡辺さんに申し訳ありませんので、仕舞っておく事にします。そのお礼は、ミラノの最終日、最後の晩餐でお返しする事にしました。
<イカ墨スパゲッティ>
昼食はサンマルコ広場から小路を中に入ったパスタの店でした。イカ墨スパゲッティが名物です。階段を上った2階にセットしてありました。他にも日本人観光客が大勢テーブルについていました。このお店も、どうやらJTBさんの御用達らしいようです。
ここでも当然ながらワインを頼みました。イカ墨スパゲッティと合いそうな、ロゼのワインを選びました。ワインとミネラルウォータはそれ程値段が違いません。この島の物価が高くても、ワインは必需品なので、値段が抑えてあるのではないかと、都合のいいように解釈しました。
そのワインはハーフボトルを更に小さくしたサイズでしたから、お替わりを頼みました。手元のワインブックによりますと、北イタリアのベネチア辺りは「沖積土壌のために、酸味が少なく、軽いタイプのワイン」と解説してありました。海産物が主体と思われるこの地方には、うってつけのワインなのかも知れません。
この店で飲んだロゼワインにはLose di Verona 199 Rosse da table de Veneto とラベルに書いてありました。書き写し間違い等を適当に修正しますと、1999年物のベローナ地方、ベネトの卓上ロゼワインと言ったところでしょうか。所謂、ハウスワインクラスのものをビン詰にしたようなものです。
少しだけ残念だったのは、スパゲッティが茹ですぎだった事です。イカ墨にも濃淡が甚だしく、味が薄かったと嘆いていた人もありました。その話を聞いて、大勢の観光客に一斉に出すのだから、多少はやむを得ないかと諦めました。
<ベネチアングラス>
今回の旅行で、買い物はできるだけ抑えましたが、1つだけ買いそびれてしまって後悔しているものがあります。それが、ベネチアングラスです。殊に、赤色をしたワイングラスを買い求めて置けばよかったと悔やんでいます。安物のワインでも、グラスが少しはカバーしてくれるのではないかとも思ってみました。それ程魅力的な赤色をしていましたし、
『赤色の製品は、輸出には出していません、全部国内販売です』
との店員さんの言葉も気にかかりました。
今回のツアーで、ベネチアングラスの工房まで見学させて貰いましたが、その時に欲しいと思ったワイングラスがありました。グラスを大理石のようなものに叩いて実演してくれましたが、割れ難い丈夫な性質を持っているようです。その性質は、成形した後に常温で冷却するのではなく、丁寧に冷却炉に入れて焼鈍する事により得られるもののようです。綺麗なだけのベネチアングラスではないことを、この時初めて知りました。
<ベネチアの物価>
海に面したと言うより、海の中の町なので、海産物が特産なのは、容易に理解できます。しかし、物価が特別に高い理由は良く理解できませんでした。観光が主な収入源の町にとって、やむをえない結果だったのか、それとも別な理由なのでしょいうか。
今年の5月、韓国の離れ小島、鬱陵島(ウルルンド)へ旅行した時、此処も物価が高かった記憶があります。その理由は、現地のタクシー運転主兼ガイドさんの話によりますと、
『漁業も農業も知れています。観光だけの離れ島ですから、全員の雇用を確保するため、全体に物価が高くなっています』
『早朝から道路を掃き清めている人が沢山いますが、この人たちの生活費も、もとは観光収入です』
と言った説明でした。ウルルンドほどは孤立していないベネチアは、同じような条件ではないのかも知れませんが、観光を維持するために多くに費用を必要としているのではないかと推測してみました。
集合まで時間がありましたので、広場に面した喫茶店で、生演奏を聞きながら珈琲を飲みました。割高でしたが、これは場所代だと最初からガイドさんに説明を聞いていました。Mさんにご馳走になりました。
フィレンツェからベネチアへ向かう車中にて
灰色の雲は四海を覆たり東の空に茜雲あり
ベネチアにて
水上に浮沈をかけて果しなく鬩ぎ合いつつ秋陽落たり
サンマルコ寺院の広場潮満て膝に達するその跡見たり
喫水の船縁近く迫りたる巨艦に似たりベネチアの街2010/08/29 02:08:58
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